財団法人福岡市体育協会


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概要

体育協会の概要

名   称 財団法人 福岡市体育協会
会   長 河部 浩幸
所 在 地 〒812-0045
福岡市博多区東公園8番2号
福岡市民体育館本館2階
TEL:092-645-1221  FAX:092-645-1220
設   立 1962年(昭和37年)
事業目的 財団法人福岡市体育協会は、福岡市における生涯スポーツ及び競技スポーツの推進を図り、もって、スポーツ文化の発展と活力ある社会づくりに寄与することを目的とする。
主な事業 ・ 各種スポーツ・体育団体及び選手・指導者の育成指導に関する事業
・ 各種スポーツ事業の実施及び援助に関する事業
・ 国際スポーツ交流の推進に関する事業
・ スポーツに関する調査・研究及び広報の実施に関する事業
・ その他目的を達成するために必要な事業

福岡市体育協会の歩み

創立から発展へ - 1952年〜1975年 -
1948(昭23)年に福岡で開催された第3回国民体育大会を記念し、1950(昭25)年、第1回市民体育祭が開催された。

 当時、焦土と化した福岡市において、スポーツを通して人々の心に明るい灯がともされ、市民スポーツ振興の歴史的な歩みが始まったと言ってもよい。これを機に、1952(昭27)年 10月1日に 全国にさきがけ、高丘稔市議会議長を会長に、地域と種目を統合した福岡市体育協会が組織され積極的な活動を展開し、スポーツ振興法制定実現への原動力とな るほど大きな成果を上げた。しかし、その後の社会の急激な変化に対応するため、新しい性格と機能を有する組織の再編を目指して、1957(昭32)年に発展的解散に至った。

 その2年後、体育協会再編の機運が高まり、1959(昭34)年3月、市内20のスポーツ団体による福岡市スポーツ団体連絡協議会が結成され、およそ2ヶ年有余にわたり検討を重ね、1962(昭37)年1月25日、加盟19団体の福岡市体育協会が発足した。初代会長に福岡商工会議所会頭の佐藤篤二郎が就任、体育協会を財政的に援助していく財務委員会も同年に発足し、初代委員長に小川治が就任し、102社に及ぶ賛助会員を得た。初年度の事業では、第13回平和台リレーカーニバルを同年4月29日に 開催して、約1,800人が参加した。 同年の主な事業としては、第10回朝日婦人ページェント、福岡市青年体育大会、朝日招待日本スウェーデン対抗テニス大会、第1回福岡市青年短縮マラソン、 第1回福岡市油山ロードレースなどを福岡市、福岡市教育委員会などとの共催で実施した。

 また、年間を通して小学校区、職場・職域でのスポーツの巡回指導などを実施した。 翌年の1963(昭38)年には、スポーツ少年団を5団体で組織し、初代本部長に大神健太郎が就任した。そして、1965(昭40)年には37団体、1970(昭45)年には118団体、4,000人を超える組織へと急激に拡大していった。

 また加盟競技団体も結成時の19団体から、1965(昭40)年には23団体に、1970(昭45)年には26団体、1972(昭47)年には30団体と順調に増加し組織の充実を図ることができた。

  そして、体育協会内部の組織強化だけでなく、体育施設の整備建設運動にも粘り強く取組み、福岡市が進めていた体育施設整備基本計画の策定にも積極的に参画 し、市民体育館、野外活動センター(1972)、勤労文化センターなどの開設につながった。さらに各区ごとに体育館、プールの実現をみるよう活発な運動を 続け、1975(昭50)年の市民スポーツ振興総合計画の中に組み入れることができた。
 
 1974(昭49)年の第12回全国高校総合体育大会においては、大会の招致段階から積極的に協力を行ない、大会の準備、運営において福岡市体育協会加盟の競技団体が主体的に関わり大会の成功に大きく貢献した。
 
 なお、1975(昭50)年には、福岡市の人口は100万人を突破し、多くの市民にスポーツを楽しみ、明るい健康な体と心を持つことができるようにすることが体育協会の任務であることを確認し、市民スポーツの育成援助にますます力を注ぎ始めた。

発展から飛躍へ - 1975年〜1991年 -

昭和50年代に入ると、委員会活動の発展期に入った。1976(昭51)年には、市民スポーツの普及振興を目指し、普及委員会が発足し初代委員長に大蔵富繁が就任した。

翌年には、競技力の向上と指導体制の強化を図るため強化育成委員会が発足、初代委員長に山田利蔵が就任した。また、市民スポーツの振興をより図るため、同年に表彰委員会も設置した。

1979(昭54)年には市制施行90周年を記念し市民総合スポーツ大会を開催、平和台陸
上競技場での総合開会式には約1万2,000人の参加者を得て大いに盛り上がった。

1980(昭55年)にはスポーツ指導者の派遣を行う福岡市スポーツ・リーダーバンクを設置。初年度の登録指導者は24種目160人、地域指導者51人の計211人であった。その後も毎年、指導者の養成を行い、年間1,000回を超える派遣をし今日に至っている。

1986(昭61)年に は、福岡市体育協会強化5ヶ年計画を策定。その内容は、1990(平2)年に開催される第45回国体(とびうめ国体)を契機として、より一層の市民スポー ツの普及振興と競技力の向上を図るとともに、スポーツ活動を通じて健康で明るい市民生活と地域づくりに貢献するために、年次的に事業と組織の拡充強化を図 ることを目的としたものである。


 その具体的な目標の一つが子どもから大人、高齢者、障害者など市民誰もが参加できるスポーツ大会の新規開催であり、これは1987(昭62)年の第1回市民総合スポーツ大会という形で実現され、以後毎年開催し市民スポーツの普及振興に役立っている。

また1989(平1)年には、市民に多様なスポーツの場を提供するため「みんなで走る、みんなでつくる、みんなで楽しむ」というキャッチフレーズのもと「福岡シティマラソン」を約5,000人の参加者で開催し今日に至っている(翌年から「シティマラソン福岡」に名称変更)。

そして、このような市民の盛り上がりの中で、1990(平2)年の「とびうめ国体」では、下記の正式競技を福岡市で開催した。

水泳(水球、シンクロ) ヨット ボウリング
陸上競技 サッカー(少年男子) テニス
バレーボール バスケットボール 軟式庭球
ライフル射撃 ラグビーフットボール 山岳(縦走、踏査)

 また公開競技として、高等学校野球(硬式・軟式)、スポーツ芸術(展示会、映画、コンサートなど)も開催した。

「とびうめ国体」を契機とした福岡市のスポーツ施設の充実も、ここで触れておきたい。
福岡空港の東側丘陵地に「博多の森陸上競技場」が新たに建設され、主競技場(第一種公認、夜間照明、電光掲示板、3万人収容)、補助競技場、投てき練習場も整備された。

東平尾公園のスポーツ施設全景
東平尾公園のスポーツ施設全景

 また、「博多の森テニス競技場」も建設され、16面(1995年には20面に増設)のテニスコートが国体の会場として大いに活用された。

県立のスポーツ施設では、県立総合プールが1989(平1)年に完成、水泳4競技(競泳、飛込、水球、シンクロ)の国際競技大会が開催できるようになった。冬場はスケートリンクとして活用され、にぎわいをみせている。

なお国体終了後の本協会の大きな目標として、福岡市体育協会強化5ヶ年計画(昭和61年度策定)の中で触れられている財団法人化に向けても、体育協会の組織強化の一環として、国体と合わせて着々と準備を進めていった。

市民にスポーツの本来持っている夢と感動を与えるプロスポーツについては、西鉄ライオンズが去ったあとのプロ野球球団を熱望していた市民の念願がかない、1989(平1)年に福岡ダイエーホークスが誕生し、市民に大きな希望を与えた。また、施設面では、全国に誇れる多目的な福岡ドームの誕生に結びついた。


財団法人化の実現 - 1991年〜1995年 -

1991(平3)年9月、福岡市をはじめ財務委員会、賛助会員のご支援により1億円の基金を集めることができ、加盟35団体をもって、開克敏会長のもと、念願の財団法人福岡市体育協会が設立された。

1992(平4)年5月に は、釜山直轄市体育会(その後、釜山廣域市体育会と名称変更)と「スポーツ交流に関する合意書」を締結し、定期的なスポーツ交流事業をはじめ両都市の市民 交流および両国の友好親善の積極的な推進役となった。そして、バスケットボールとボクシングの選手役員の受け入れと、派遣の交流を初年度に実施した。その 後、バレーボール、フェンシング、サッカー、卓球、ヨット、バドミントンの国際交流を実施し大きな成果を上げている。

また、スポーツ教室をはじめ、スポーツ指導者の派遣事業であるスポーツリーダー・バンク事業にも力を注ぎ、年間1,000回を超える派遣を行い、広く市 民にスポーツの普及振興を図っている。その他では各競技団体に助成し、優秀な競技者を育成し、属性別スポーツの振興として少年、婦人、高齢者のスポーツ事 業にも着手してきた。このようにますますスポーツの隆盛が予測されるなかで、協会に与えられる使命にこたえられるよう、努力を重ねた時期であった。

なお、サッカーのJリーグの誕生から2年遅れて、1996(平8)年に福岡ブルックスがJリーグに昇格してアビスパ福岡と名称変更し、レベルの高いサッカーを見る機会を得たことは、市民の記憶にも新しい。

 


第18回ユニバーシアード大会 - 1995年 福岡 -

国際都市をめざす福岡市は「大学生のスポーツの祭典」であるユニバーシアード大会の誘致の構想を早い時期から練っていた。そして、1989(平1)年12月の国際大学スポーツ連盟(FISU)の実行委員会で満場一致で1995年の福岡開催が決定した。

  本協会としても、競技運営の中核となるべく競技役員の養成、資質向上などに全力を挙げるとともに、競技会場となる新規施設の建設を福岡市と連携を取りながら促進した。


ユニバーシアード福岡大会
ユニバーシアード福岡大会の開会式

 また、ユニバーシアード福岡大会市民の会にも多くの会員が入会して、発展途上の国々が参加できるように財政援助の一翼を担った。そして、1995(平7)年8月23日の福岡ドームでのユニバーシアード福岡大会開会式を迎えることができた。大会は史上最高の162ヶ国・地域から5,740人の選手、役員が参加、9月3日までの12日間にわたって熱戦が繰り広げられた。

 なお、競技種目は下記の通り10種目が開催された。

陸上競技 バスケットボール フェンシング
体操 競泳 飛込
水球 テニス バレーボール
サッカー    

 そして、選択種目として、柔道と野球が開催された。


  この大会に参加した福岡市出身、柔道の田村亮子は旗手を務めるとともに、自らも柔道女子48s級で金メダルを獲得するなど大いに大会を盛り上げた。日本選 手団は競技成績も華々しく、金メダル24、銀メダル16、銅メダル24の計64メダルを獲得。これは金メダルではアメリカと並んでトップ、メダル数もアメ リカの69に次ぐ好成績であった。

 なお、競技会場として新たに建設された主なスポーツ施設は下記の通りである。

水球会場となった総合西市民プール (50m、25mの公認プール)
テニス会場となった博多の森テニス競技場 (センターコートは収容人員3,450人、合計のコート数20面)
サッカー会場となった博多の森球技場 (収容人員22,600人、天然芝)
体操、バレーボール会場となったマリンメッセ福岡 (収容人員9,000人〜12,000人)

 このように、ユニバーシアード福岡大会を契機に福岡市のスポーツ施設の充実は目を見張るものがあり、また市民が温かく選手を歓迎したホスピタリティー、ボランティア活動など、福岡市における今後の市民スポーツの発展に残した功績は大きい。

 そして閉会式の9月3日、福岡市は「国際スポーツ都市宣言」を行った。

自然と共生し健康な心と体をスポーツで育てよう。
生きがいのある暮らしをスポーツで育てよう。
さわやかな友情をスポーツで育てよう。
活力あるまちをスポーツで育てよう。
国際交流の輪をスポーツで育てよう。

世界に開かれたアジアの交流拠点都市―福岡、そのエネルギー源は活力あふれる人、街、自然です。スポーツ は、生きがいのある生活と健やかな身体を作るとともにふれあいの輪を広げ、世界平和に貢献します。福岡市民と世界の人々が人類共通の文化であるスポーツを 通じて心を共有できる都市をめざしてここに『国際スポーツ都市―福岡』を宣言します。
 

体育協会って何?

会長の挨拶

概要

21世紀初頭のビジョン

組織図

周辺地図とアクセス
平成23年度事業計画

平成23年度収支予算

平成22年度事業報告

平成22年度貸借対照表

平成22年度正味財産増減計算書

平成22年度財務諸表に対する
注記

平成22年度財産目録

平成22年度収支計算書
平成22年度収支計算書に対する
注記



福岡のスポーツ情報誌

福岡のスポーツ情報を掲載した冊子を市内各所にて配布しております。スポーツ・生活に役立つ情報満載です。


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